『真っ白なキャンバス 合宿企画2022 〜Be the SUPER IDOL〜』で、三浦菜々子が自分と向き合う1万字の作文に挑戦。
ここに、1万字の作文を公開します。
※下記テキストにて掲載をさせて頂きます。
私は小さい頃からあまり人見知りもしないで友達も多いタイプでした。
でも特定の仲のいい子は作らないタイプで広く浅く友達と付き合う子だったそうです。
自分ではそんなつもりはないのに相手に合わせてやりたくないこともついやってしまうような子だったので、どんどん相手に合わせて自分を取り繕うのが上手になっていき、人と関わるとその分疲弊してしまうようになっていました。
友達は遊ぼうって誘ってくれるけど私はいつも「行けたら行くね!」と言ってあまり放課後に友達と遊ぼうとしなかったそうです。
それでも友達が家まで迎えに来てくれるので結局外に連れ出されて、遊びに行けば行ったでそれなりにうまく付き合うし楽しそうに遊ぶけどその分自分をすり減らして周りに合わせて笑ったり楽しそうにしたりしていたんだと思います。
だから私は友達に何かを相談することもなければ、悲しいこと悔しいこと辛いことがあっても誰かがいるところで泣くことができず1人で泣くことが多かった気がします。
女の子の群れが苦手だったし、友達がいないと行動できない女の子たちが理解できなかったけど、小学校高学年になってくると女の子特有の集団行動みたいなものとうまく付き合わないといけないという空気をそれとなく読み取ってうまく生きてきたと思います。
それなりに楽しかったし、自分では無理してる感覚はなかったけどいつもどこか満たされない気持ちがあって、芸能活動を始めて演技をしたときに”自分は台本があれば、誰かが書いた脚本で、誰かが書いた誰かになれば自分の気持ちもセリフに乗せて発散できるんだ”と埋まっていなかったパズルのピースがはまったような気がしました。
最初は演技なんてやったことないのにいきなり任されたヒロイン役で訳がわからずガムシャラに舞台に立っていたけど、やっていくうちにお芝居の楽しさ難しさ、できていないのに「子供だからこのくらいできてれば十分だよね」という大人の妥協への悔しさ
いろんな感情を学びました。
仕事を始めてからは忙しくなって、遊ぶ時間も減ったこともあり、広く浅かった交友関係もわりとありのままに近い状態でいれる友達と関わることが増えたので”親友”と呼べる友達もできたし、自分の弱さや嫌なところを見せれる大切な友達もできました。
そのおかげで中学校は平和にのびのびすぎるくらいのびのびと自由に過ごしていたと思います。
怖いもの知らずで、悪戯をして先生に怒られ、スカートの丈が短すぎると学年集会を開かれたり、わんぱく過ぎて毎日のように怪我をして保健室の常連になったり、なんとなく許される程度に校則を破ったりしていたので学校では目立っていたと思います。全校生徒の数も200人くらいしかいない学校だったので先輩後輩みんな顔と名前とどんな人なのかをなんとなく知っていて学校のどこを歩いてても「お前今日もなんかやらかしただろ?」って声をかけられるし、お姉ちゃんが同じ学校にいたおかげで先輩たちからは可愛がられていたしなんとなく無敵状態だったので周りに合わせていい子に過ごしていた小学生時代とは変わって言いたいことは言うしやりたいことはやる!普段大人の世界で仕事をしていていい子でいなきゃいけない自分を、学校では自由な等身大の自分でいれる、発散できる場所!というふうに捉えちょっとわがままでやんちゃに楽しく過ごしていました。なんとなく消去法で選んだ部活も、勉強もそれなりにやるけど打ち込めるほどではなくて
部活の引退試合も仕事で出れなかったし、受験も芸能学校への進学だったので受験勉強というものをしたことがなくて何かをやり遂げる!という体験をしないまま何も頑張らないまま人生を過ごしてきてしまいました。
副部長っていう立場だったのに最後の夏に部活にほとんど参加できていなくて慕ってくれてた後輩とか、一緒に3年間部活をしてきたチームに申し訳なさはあったけど別に引退試合に出れないことに対して悔しさとかは全くなくて
3年間在籍はしていただけでそれほど頑張ってこれなかったんだなとその時改めて実感しました。
高校生になって周りもみんな仕事をしている環境で、クラス全員が揃うことなんてなくて誰かしらが仕事で欠席、早退、遅刻があるのが当たり前で年に1回くらい早退と遅刻の時間のバランスで数分だけクラス全員が揃うことがあると記念に写真を撮るような学校でした。
クラスメイトがある日突然スターになったり、すでに有名な子は校内を歩いているだけで盗撮されていたりと大変そうだったけど
クラスみんな仲が良くて、仕事が忙しくても学校に行きたい!と思うくらい学校が好きでした。
この頃わたしは人生で一度も憧れを抱いたことのなかったアイドルになることになりました。
高校入学前に事務所の方から「別の事務所と合同でアイドルを作るけど入らないか」とお誘いを受けました。
アイドルはテレビで見たことがある程度で特別好きなわけでもなりたいと思ったこともなく、
なんなら事務所に所属した際にアイドル志望じゃないことを伝えていたし、わたしの中でアイドルのイメージはフリフリの衣装を着てちょっとぶりっ子をしなきゃいけなかったり、周りの目を気にしてイメージに合わないことはしちゃいけないとかなんだかキャラを作っているようで息苦しそうだなあというイメージでした。歌はたしかに昔から好きで家でもずっと歌っていたけど仕事にするとか思ったことがなかったし歌に自信があったわけでもなかったからアイドルなんて自分とは程遠い存在だと思っていたし最初は「わたしは演技がしていたいからアイドルは…」とお断りしたのですが
事務所の方から「アイドルは今しかできないから!より多くの人に知ってもらうチャンスだよ」と説得され、言われるままに集められたスタジオに行くとどうやら仮でこのメンバーで事務所のイベントで一夜限りの限定ユニットとしてステージを披露してその後、正式なメンバーを選びます。
というオーディションのようなもので、正直私は「あれだけ説得してきたくせにオーディションなんかい、話が違うじゃん」と言いたくもなったけど、とりあえず受けたこともない歌とダンスのレッスンを受ける日々が始まり、でもどちらも新鮮で楽しかったしどちらもそれなりの出来だったので苦戦や挫折を味わうこともなく初ステージを迎えました。
初ライブの感想は歌もダンスも楽しいなあくらいで
「絶対アイドルになりたい」って気持ちも湧いてこなかったし、でも想像していたより嫌でもなかったし、まあ別にやってもいいかなくらいの気持ちで、気づいたら正規メンバーに選ばれていてアイドルになっていました。
アイドルになるつもりなんてなかったのになあと言う気持ちも少しありつつ
アイドルになったからには、演技する時間を犠牲にしてるからにはやるぞ〜!と腹を括って活動に挑みました。
実際にアイドルになってみるとわたしの所属したグループはふりふりの衣装もなければぶりっ子する必要もなくシンプルで無機質な感じのグループでした。
メンバーが決まってすぐ合宿が始まって、レッスン、レコーディング、撮影とずーっとスタジオにこもっていたので日にち感覚もまったくなくて4日間くらいの記憶がないのですが
最初の撮影時に、「疲れた、眠い、お腹すいた」の発言禁止がルールになったことをとてもはっきり覚えています。
私たちが疲れた、眠い、お腹すいたと思っている時はスタッフさんも感じているということ、
スタッフさんは演者のわたしたちより裏で多く動いてくれていること、スタッフさんの大変さありがたさを教え込まれちゃんと意識を持って活動するように教えられました。
最初メンバーは6人いましたが1週間で1人脱退。
アイドルになりたくてなった子でも1週間でやめちゃうくらい大変なんだと思うと同時に、多分私は”絶対こうなりたい!”っていうアイドル像とか理想がないから「このグループは自分に合わないな」とか「なりたい系統と違うな」という挫折をしなかったのかなとも思います。
慣れないアイドルという職業にどうやって対応すればいいのかわからずとにかく頑張ろうと
がむしゃらに走ってしまった結果、なんとなくメンバーの中にモチベーションや仕事への取り組み方のばらつきが出てきてしまいました。
アイドルになる前に芸能の仕事をしていたメンバーはあまりいなかったので、アイドルを部活みたいにただ楽しくわいわいやりたいメンバーの取り組み方に対して、アイドルをやりたかったわけではなく、演技をやる時間を犠牲にしてるからには売れたいと思っていた私はイライラしてしまったり、理解できない行動が多く、今思えばもう1人アイドル経験のあったメンバーと2人で突っ走ってしまっていた気がします。
その後メンバー2人が脱退したことにより新メンバーを加えてコンセプトを変えてグループが生まれ変わりましたが、そのタイミングでグループ間をうまく保つために周りとやる気具合を合わせなきゃいけないんだ、1人だけ頑張ったらいけないんだと前グループでの自分の行動を反省して新しくグループが変わったタイミングで周りの空気を見つつ、あまり熱血になりすぎないように気をつけるようになりました。
メンバーの行動に”もっとこうしよう”と思っても空気が悪くなること、メンバーのやる気を削いでしまうことを恐れて飲み込むようになりました。
そのタイミングで以前の熱血具合が買われてしまったのか何故かグループのリーダーに任命され、グループの中でDJ担当になった私は大人から「リーダーだから嫌われ役はやってね」と言われ、メンバーと一緒になって何かを楽しんでると「リーダーだから大人になって!みんなと同じ目線でいないで」と注意されるようになりました。
そんなことを繰り返すうちに周りから一歩引いてしまう癖がついたように思います。
孤立しないように頑張っていたのに大人から求められる通りに振る舞えばメンバーとは距離ができるしメンバーとの付き合い方が難しくてグループでいる時間がなんとなくしんどくなるようになりました。
ここにはあまりかけませんが同時にその頃レッスンで辛いことを言われることが多く、レッスンに来なくなる子も出てきました。
そんな出来事を目の当たりにして傷つくことを恐れて
心を無にしてやれば大丈夫と多分どんどん人間味のない子になっていきました。
当時はとても忙しくさせてもらっていたので
学校行事もほとんど参加できなかったし
遠征明け一瞬帰宅してシャワーを浴びてそのまま学校に行ったり
仕事が終わってオールで一夜漬けで勉強してテストを受けたり
今考えればよくやってたな自分。と少し自分を褒めてしまいそうになる程無心で時間と秒単位で戦っていた気がします。
時間との戦いの日々だったので基本走っているか早歩きで歩いていて
頭の中も忙しなくずっと「次はあれをして、これをして」とぐるぐる物事を考えていて、たまにふと赤信号で足を止めた時に
「あれ、自分何してるんだっけ?」と何が悲しいかもわからないまま涙が溢れたり余裕がなくて家族にきつく当たったり、だいぶ限界に近い状態だった気がします。
私は生まれた時心臓に疾患があって、経過を見て良くならなければ運動の制限や手術が必要になると言われていたらしく
元気に過ごしていても忙しく休みなく働いた後、急に休みがあると熱を出したり体調を崩したり周りの子のように身体が言うことを聞いてくれなくて、それがとても悔しかったし
グループで活動する中である日突然ずっと耳に水が入っているような音がくぐもってしまう感覚に陥りました。
数日続いて病院に行くと突発性の難聴と診断されました。
薬は不味くて飲みたくないし、大好きな歌は歌いづらいし、でも活動も休めないし
自分の身体は不良品だと思っていました。
どんなに忙しくても元気に過ごせる子が羨ましかったし、自分だって頑張りたいのに気持ちとは裏腹に身体はついてきてくれなくて
産んでくれた母に「自分は不良品だ」と漏らしたこともあります。
身体を心配してくれる父を煩わしく思い無視したこともあります。
そんな思い詰めた日々の中で、
同じクラスだったグループのメンバーが、リフレッシュしよう!とオフの日にテーマパークに誘ってくれて
久しぶりに高校生らしく休日を楽しんだ日の帰り、「難聴のやつがテーマパークに行ってるんじゃない」とグループの大人の方から電話がかかってきて怒られました。
テーマパークは騒がしいから耳に良くない!という理由でしたが
休みの日ですら管理され、リフレッシュもできない息苦しさを感じました。
この日の帰り道、電話で散々怒られたあとアイドルでいる以上、私の人生はないんだなと初めてひとりの女の子として生きる人生を、普通の幸せを諦めたのを覚えています。
それでも当時のわたしは誰かに必要とされたい、代えの効かない存在になりたいと必死にグループの活動を続けていましたがいつもわたしに投げかけられる言葉は「代わりはいくらでもいる」という言葉だったし
私がどんなに意見を言っても、思っていることを話しても大人の力でねじ伏せられ無かったことになる、そんな日々を繰り返す中で
意見は言っても無駄だ、意見を持つだけ無駄だ、大人は聞いてくれないしわかってくれないと絶望し、何もわからないくせにわかったふりをして寄り添ってくる大人には
何もわからないくせに、わかったふりするな!わかられてたまるか!
と心の中で反発するようになりました。
それからわたしは言ってもわかってもらえないし、わかってもらいたくもないと自分の気持ちや思いを誰かに伝えることを諦めたように思います。
それからうまく自分のことを伝えられなくなって、誤解されることも多くなっていったように思います。でも、話しても伝えてもわかってもらえないから、そのままでかまわないと思っていました。
ある時メンバーから呼び出され、プロデューサー、スタッフが全員いる中で「活動に対する熱量が感じられない」と言われました。
熱量なんて目に見えるものじゃないからグループの中で何番目に熱量を持っていたとかはわからないけど私なりに熱量を持って活動をしていたしみんながレッスンを終えた後1人残ってDJの練習もしたのに!なんで?と悔しかったです。
その場にいた大人たちもみんなメンバーに同調していたからこれ以上何か言っても無駄だと思った私はそんなつもりはなかったけどそう思わせてしまったならごめんなさいと謝罪して、今後もっと頑張りますと伝えて解放してもらいました。
その場では何も言ってくれなかった当時のマネージャーさんが、みんなが言いたいだけ私に不満を言って帰った後2人になった時に「自分は三浦に熱量がないとは思わないよ」と言ってきてくれたのですが私は、みんながいる時は黙って同調していたくせに!2人になった途端味方みたいな言い方をしてくるなんてずるい!汚い!大人なんて嫌いだ!私は絶対こんな大人にならない!と強く思いました。
この、”熱量がない問題”のあとの新曲レコーディングでは私の歌割りはありませんでした。
あぁ、どんなに歌を頑張ってもボイトレの先生やファンの方に認めてもらっても
大人のいうことを聞いて大人の思う通りの私でいないと大好きな歌も歌わせてもらえないんだと絶望したし、そういう世界なんだなあとも思いました。
それから私は何を言われても出来るだけ言うことを聞いてうまく過ごしてきたし、
自分を押し殺して生きてきたけど、ある日突然グループは無くなりました
解散発表もないまま一瞬で、最初から何もなかったみたいに。SNSでファンの人が困惑する姿を見て胸が痛くなりました。メンバーでどうにか最後にライブをしたいと伝えたけど叶うことはありませんでした。
当時は悲しかったし悔しかったし辛いことが多かったけど今ではこの頃の出来事があるから、厳しく育ててもらったから今の自分があると思うので全ての出来事に感謝しています。
それまでたまに個人仕事はするもののほとんど全てをグループ活動に捧げてきた私は急に空っぽになってしまいました。
抜け殻みたいになんとなく学校に通って、仕事をして時間だけが流れていく日々が続いて、ずっと満たされないままぽっかり空いた穴が埋まらなくて、時間が経てば解消されるのかな、でも時間が解決するって虚しいなとかそんなことを考えながら
そもそも私はアイドルがやりたかったわけじゃないじゃん。タイミング的にもいいじゃん。と言い聞かせてただ日々を生きていました。
そんなとき、たまたまSoundCloudである歌に出会いました。「僕がやりたいことは何?」と問いかけてくるその歌詞がそのときの私にすごく突き刺さって、ずっと目を逸らしていた
本当はまだ歌が歌いたかった気持ちが、
ずっと認めたくなかったけどアイドルをやりきれてなかった気持ちがあることに気付かされました。
調べると真っ白なキャンバスというまだできて半年くらいのグループで、ちょうど新メンバーオーディションをやっていたので
親にも事務所にも友達にも誰にも相談せずすぐに応募してみました。LINEでの応募だったのですぐに返事が来てすぐに面接をすることになりました。
今まで仕事をしてきて面接がカフェだったことはなかったので騙されてないかな、と一瞬不安になりましたが以前の活動である程度物事への期待とか希望とかは薄れてたし、落胆することにも慣れていたのでまぁ騙されてたら騙されたでいいか。殺されはしないだろうくらいの気持ちで面接に向かいました。
とんとん拍子に物事が進んでいって
歌とダンスの審査とかもなくアイドルのオーディション?という感じでしたが、新メンバー発表の日を既にファンの人に公表していたにも関わらず新メンバーが決まっていなくて焦っていたのかどんどん加入する方向で話が進んでいきました。
私はなんとなく話の流れ的に自分、新メンバーになるんだなあと思いつつ「あ〜、まずいぞ。事務所に何もいっていないのにどんどん話進んでいくなあ」と内心少し不安でした。
でも初めて面接をした日に真っ白なキャンバス新メンバーオーディション公式ラインから「今の真っ白なキャンバスには三浦さんが必要だと思います」というラインが届いて
なんだか人生で初めて人から必要とされた気がしてとても嬉しかったのを覚えています。
もし騙されていたとしても、こんな言葉をくれるなら騙されてあげようとすら思いました。
オーディション中アイドル経験者だということを言ったらオーディション落とされるのかな?と思い、特に過去にアイドルをやっていたことも事務所に所属していることも言わずにいたのですが、最終的に入るか入らないかの決断の時「実は事務所に所属してまして、、、」というと「知ってました。Twitterアカウントも調べました」と言われ、少し「怖いな、この人の元では悪いことできないな」と思いましたが
青木さんが事務所に話をつけてくれることになりなんとか無事真っ白なキャンバスのメンバーになりました。
自由にのびのび活動してるグループで当時は集合時間に少し遅れて集合するのが通常みたいなグループだったので、私のお披露目ライブの日は楽屋に入りしたら誰もいなくてびっくりしたのを覚えています。
前のグループのような厳しさはなくのほほんとした雰囲気で
最初の頃はそんなことが続いたりしていたので正直不安になることもあったのですが、私が口出しすることじゃないんだろうと思い自分は自分でしっかりしなきゃ、誰よりも自分が一番自分に厳しくしようと決めました。
今でもメンバーから「ななこちゃんは自分が1番自分のアンチだよね」と言われるのでやり方はちょっと異常みたいです。でも基本的にネット
になにか書かれても自分が自分に投げかける言葉の方が強いので慣れていることもあってあまり落ち込みすぎずにやってこれました。
今考えれば、私は自分が加入したタイミングの青木さんが「早く新メンバーを決めなきゃ」って焦ってる時期じゃなかったら白キャンに入れてなかったと思うし、
青木さんは前のグループのファンの方を引き連れてきてくれるんじゃないかってもしかしたら期待してたかもしれないけど、ほとんど前のグループのファンの方は白キャンにはきてないし、周りに何度も言われるように私は人気がないので多分何度も私を新メンバーにしたことを失敗したなと後悔しているんだろうなと思いながらずっと活動してきました。
グループのためにも多分私じゃなくてもっと人気が出るような子を入れた方がいいんだろうな、席を空けなきゃいけないのかなって思うこともたくさんあったし、大人から悪気なく言われる「三浦さんはパフォーマンスメンバーだから人気はないけど仕方ない」って言葉や、ファンの方に言われる「〇〇ちゃん見習ってもっと頑張ってよ」って言葉に悲しい気持ちになることもあったし、辞めますって言おうとした日だってあったけど、でもやっぱり自分でも気づかないうちに、自分が思っている以上に白キャンを好きな自分がいて、辞めたくないなと思ってしまいます。
白キャンになって、やりたいことをやりたい!と口にしてどんどん夢を叶えていくメンバーや、苦手なことに向き合ってどんどん成長していくメンバーを間近で見てきました。
未来に過度な期待はしないように、やりたいことや未来についての発言を、自分を抑え込んでいた私も、TIFのメインステージ争奪戦に出た時に「勝ちたい、このメンバーとメインステージに立ちたい」という気持ちが湧いてきました。
当たり前だった世界が一瞬で消えてしまう怖さを経験したことがあるからこそ、ダメだった時に傷つかないよう、心のどこかに諦めの気持ちを持つことを習慣付けていたのに
白キャンは私にどんどん夢を見させてくれました。
人に甘えてしまわないように、弱い自分を見せないように虚勢を張っていたけど、
一人で強く立っていなきゃと思っていたけど
白キャンに入って、辛い時に支えてくれるメンバーの手が温かいこと
仲間ってただそばにいてくれるだけでありがたいんだなってこと
大人の人はずるくて汚い、悪者ばかりじゃないことを知りました。
白キャンに入ってから私は大分人間らしさを取り戻したと思います。
それでもいまだに自分のことを伝えるのは下手くそだから他のメンバーみたいに応援してくれる方が求める通りの回答ができなくてがっかりさせてしまったり、不安にさせてしまったり感謝の気持ちがなかなか伝わらなかったりアイドルとしてはダメダメで、そんな自分のことが嫌になるし自信がなくて
本当はやりたいことがあっても自分には人気がないからと声を上げることを躊躇してしまいます。
やりたいと思うことは大体人気のメンバーが指名されるので私がやりたいと言ったらその子のファンの方が悲しむよなあと考えて言えず、一歩引いてしまうので
「人気になりたくないの?」と誤解されてしまいます。
周りの大人はみんな「あなたはパフォーマンスメンバーだから人気じゃなくてもいいからパフォーマンスを頑張れ」というけど
ファンの方からは「パフォーマンスを磨いても人気ないと勿体無いよ」と言われるので自分がどうするべきか思い悩むこともたくさんあります。
前までは人形みたいに、ロボットみたいに感情を失くしていい子にしてれば正解だったのに白キャンでは自分の意見を求められるから
そのギャップにまだついていけなくて加入して4年半経っても自分の意見は9割くらい殺しちゃうし変わりたい、変わらなきゃ!と思うのに自分だけ成長しないままグループとメンバーばかりが成長していって自分がいつまでも足踏みをしたまま
アイドルに向いてないとわかっていながら目を逸らして4年半グループにい続けてしまって、
少し前は自分はもう成長できないんだな、限界なんだなと思っていたけどパフォーマンスをする中で自分のやりたい表現が思うようにできなくて、まだまだできないことがたくさんある私は伸び代しかないということに気づいて嬉しかったです。
この一万字の作文の企画が伝えられた時から正直ずっと書き切れる自信がありませんでした。
今まで思ったことや自分の本心をほとんど言わず、なんとなく周りに合わせて当たり障りないことを言ったりその場その場で何が模範解答なのか探して、思ってもいないことを平気な顔で言ってしまう私は今回だってどうやったら自分の本音を言わずに、でもそれなりに本音っぽく聞こえる作文を書けるだろうとそんなずるいことばかり考えていました。
言葉を並べては”こんなことファンの人は知ってどう思うんだろう、知られたくないな”と思って消して、みんなは思ったことをしっかり発信できるのに、自分のことを自分の言葉で表現できるのになんで私はできないんだろうと思っていました。
それっぽい言葉を並べるだけでは到底一万字には届かず期限内に作文を完成させることはできなかったし、他の子より時間はめちゃくちゃかかってしまったけど
今回自分と向き合うことで、ずっと自分の中に閉じ込めてきた、きっと死ぬまでずっと話すことはなかったであろうみんなには知られたくなかった過去の自分も、本当は弱い自分も全部少しは認めてあげてもいいのかなと思いました。
未だに自分の殻に閉じこもってしまうことも
自分で自分を苦しめていないと自分は頑張れていないんじゃないか、怠けていると思われてしまうんじゃないか、やる気や熱量が伝わらず誤解されてしまうんじゃないかと不安に襲われることもたくさんあります。
数字や列を気にして落ち込んだり自分はダメなやつだ、必要ないんだと落ち込むこともあります。
きっとこれからも自分自身で自分を苦しめたり傷つけたりしてしまうと思うけど
でも
弱くて不出来な私でも認めてくれて、
逃げ出しそうな時にそっと支えてくれて
自分の思っていることをうまく話せなくても時間がかかってしまってもなんとか言葉にするまで話を聞いてくれるメンバーやスタッフさんがいて
こんな私のことを応援してくれているのに上手に感謝も伝えられない、アイドル劣等生の私でも応援してくれるファンの方がいるから
多分私は大丈夫と思えるようになりました。
これから先きっとまた弱い私が顔を出すことも
自信をなくして一歩引いてしまうことも
あると思うけど
これを機に少しずつでもやりたいこと、なりたい自分を口にできるように
私自身変わりたいです。
白キャンが5年間で希望、挫折、驚嘆、絶望、感謝を経てきたように、私もいろんな感情を経て
これからまだ見ぬもっともっと大きなステージで最高の景色をこの7人のメンバーとファンのみんなで一緒に見ていきたいです。