真っ白なキャンバス

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2022.11.09
1万字の作文を公開 小野寺梓


『真っ白なキャンバス 合宿企画2022 〜Be the SUPER IDOL〜』で、小野寺梓が自分と向き合う1万字の作文に挑戦。たった今、完走しました!

ここに、1万字の作文を公開します。

 

小野寺梓の作文を見る

 

 

※判読しずらい箇所があるため、下記テキストでも掲載をさせて頂きます。

 

「みんなの心に寄り添いたい。」「みんなの支えになりたい」「みんなの生きがいでいたい。」アイドルとして活動してきて、ずっと思ってきた、発言してきた言葉です。どうして私がそういう考えに至るようになったのか、今まで私がどう生きてきたかを振り返りながら、自分がアイドルとしてどうあるべきなのか、改めて見つめ合いたいと思いました。

 

私は田んぼの広がる自然いっぱいの田舎で生まれました。両親は教師をしており、経済的にも安定していて、私への教育もしっかりすぎるくらいしてくれました。家には図鑑や勉強に興味が出るような本が沢山用意されていました。スポーツにも沢山触れさせてもらえました。その環境で育ち、その期待に答えるように、私は勉強も運動もすごく得意になりました。

 

でも場所は田舎でした。周りと違う物、平等じゃない物を排除しようとします。私は浮いた存在になるようになりました。両親が教師、さらには、自分の通う小学校はもともと母が教師として働いていた小学校でした。先生達から見たら私は同僚の子供です。平等に扱って欲しい私の気持ちとは裏腹に、周りの生徒からは平等には見えない環境だったと思います。小学生だった周りが言葉を覚え始めると、「えこひいき」「差別」などの言葉が私の名前の変わりになりました。違うと否定したかったけれど、事実なのかもしれないと思い、否定できませんでした。

それ以外にも、自分の仕草や言葉遣いなどで「ぶりっこ」と言われることも多かったです。

 

所属していたバスケットボール部でも、長い間仲良くしてくれていた子が急にある日を境に私の事を無視するようになったり、一人仲間はずれにされたりということがありました。

 

私は、勇気を出してその子にどうしてそのようなことをするのか、傷つくことをするのかと聞いてみると、「お母さんにあまり仲良くしないでって言われたから」と言われました。彼女のお姉さんもまた、私の母が担任した生徒でした。

 

人間関係に悩みました。理不尽だと思っていたし、全部周りや環境のせいにして、今思うと自分にも非があっただろうことに気づけませんでした。

どうして親に聞いてもらったり解決してもらわなかったのか、それは、期待通りの子供でいたかったこと。そして、その頃には既に父と母の仲には亀裂が入っていたこと。それが理由でした。父と母は、私が小学1年生の時から、同じ家に住んでいるけど会話はしない、所謂家庭内別居をはじめていました。

 

二人の仲もなんとかしなければいけないと思いつつも、私は私で自分のことに精一杯だったこともあるし、どうしたらいいかわからず、何もできませんでした。

 

私の記憶の中の父は、玄関に一番近い、家族と会うことの少ない部屋にただ寝に帰るだけの生活をずっとしていました。父の部屋は散らかっていて、お酒臭くて、いつからかはまったパチンコもやめられないようでした。

私と兄の 2人とも会話は全然無く、実の父なのに会話をするときは緊張するような存在でした。

その頃の私にはそんな父が良い印象に映ってはいなかったけれど、父にとってはパチンコやお酒が逃げ道で、支えで、そうするしか方法がなかったのかもしれないと思うし、父は父で苦しかったのかもしれないと、今ならそう思えます。

 

母は父のことをいつも悪く言っていました。家に父が帰ってくるだけで「うわ、帰ってきた。」と言い顔を歪めていました。母のことが大好きだったけれど、母のそういう姿は嫌だったし、ずっと優しくて尊敬できる母の姿でいてほしかった。あの嫌な空気の環境から逃げ出したいと思っていました。

 

それでも、私はそのときまだ子供だったのもあり、母の言うことは全て正しいと思っていました。だから根拠などないし、本当のことはわからないのに、母の言葉を鵜呑みにして、父は悪い人なんだと思いこんでいました。父が私に優しくしようとしてくれても、辛辣な言葉や態度を取ったり、冷たく突き放したり無視をしたりしてしまいました。罪悪感はあるのにそうすると母の機嫌が良くなるからと、母の顔色を伺っていました。

 

私が傷ついていた、バスケットボール部のあの子と、母親の言うことに従って人を傷つけることも平気でするあの子と、私は同じことをしてしまっていたことに気づきました。

 

母が悪く映るような言い方をしてしまいましたが、母が悪かったわけでもないと思うし、片方だけに否があるということはないと思います。

 

母は仕事の学校の先生をしながらも、母親としても家事をこなしていて、完璧な人だと思っていました。お料理もお掃除も得意で、それから勉強しないだけで飛び蹴りするような面とか、門限とか寝なきゃいけない時間が早すぎるとか、お泊まりがだめとか、食べてはいけない物とか見てはいけないテレビがあるとか、すごくすごく厳しかったのですが、それも含めて完璧に見えて、周りからも素敵なお母さんと思われるようなお母さんでした。

しかし、母は急にうつ病を発症しました。完璧だった家事もしなくなっていきました。

 

母は鬱病になってから占いにはまり、色々な占いの先生のところに行ったり、神社にお供えをして周ったりしていました。信じ難いような話をしだしたり、母に対して恐怖を感じたりするようになりました。父にとってパチンコやお酒が支えだったように、当時の母の支えは占いだったのだと思います。それでも次第に、家事もできなくなって寝込むようになり、母は一人で遠くの実家へと帰りました。置いて行かれたという寂しさと共に、今まで知っていた母とのあまりの差に驚く自分がいて、私も母に完璧なイメージを作り上げてしまっていたんだなと思いました。完璧でいたい人だからこそ父との関係性や、期待通りに育たなかった私達子供など、完璧でない家族に悩み自分を責めてしまったのかなと思っています。完璧なように見えて、実は取り繕っていて、とても頑張っていたのに気づくことができませんでした。力になることができませんでした。

 

その後、両親は離婚しました。父は青森にそのまま残り、母は宮城へと移り住み離れ離れになりました。私は父のいる青森に残る予定でしたが、暗くて苦しい環境から抜け出したかったのと、大好きなアイドルがより近くなるように感じて母の宮城への引越しについていかせてもらいました。

 

母は離婚し引越し環境が変わったこと、そしてアイドルの嵐さんにハマったことで鬱病は良くなり、以前のように元気になっていきました。アイドルを毛嫌いしていた母のアイドルへの考え方が変わった時だと思うし、この事で私が後にアイドルになることを賛成してくれた出来事だったと思います。

 

青森に残った父ですが、父もまた、鬱病になってしまったことを、数年前に又聞きして知る機会がありました。理由などはわからないけど、少なくとも一つの原因に私もあるのだろうと思うし、申し訳ないです。今考えると、父にとった態度も含め私はなんて浅はかだったのだろうと後悔してしまいます。過去に戻り、私が二人の仲を取り持ちたいと思うし、幸せな家族にしたかったです。

 

一方の私は、色々な感情が積もり重なって、学校へも段々と行かなくなってしまい、自分の部屋の中に引きこもるようになってしまいました。気づいたら家から一歩も出ない日が何日も続くようになり、日中は周りの目が気になるから深夜に外に出たり、2週間ぶりの外だなあとか思いながら外を歩いたりしていました。

 

引きこもっているとき、マイナスなことばかりが浮かんでは消えてを繰り返し、いつしか精神的に病んでしまい、第三者から見ればおかしい時期もあったと思います。

 

母を思い切り突き飛ばしてしまったこともあります。包丁を向けてしまったこともあります。心ががんじがらめになって、言葉でうまく母に感情をぶつけられない辛さ、母に理解されない苦しさ、学校に行くべきだってわかっているのに学校に行けない悔しさ、人への恐怖、そして優秀に育てたかった両親の期待に答えられない自分への劣等感。抱えきれない感情が、行動となった結果だと思います。

 

そんなことをしているから、母に精神科に連れて行かれました。連れていかれた先の精神科では、先生に自分のことを話すのがいやで通うのは一回で終わってしまいました。本当は抱えている感情を吐露したかったし、聞いてほしかったです。けど、その時の自分はうまく言葉にできず、母の前だったこともあり話すことができませんでした。

 

どこかで心のモヤモヤや、言葉にできないことを理解しようとしてくれる、そんな存在や居場所を求めていました。

 

私はその当時、ものすごく死にたかった。簡単に使っていい言葉では無いけど本当に死にたかった。苦しかった。生きているのがつらくてしょうがなくて、沢山死ぬ方法を調べました。 

 

死にたいと思っていた理由は、人間関係や家庭環境もそうですが、心の拠り所や自分の居場所が無いと感じてしまい、つらいことしかないと思っていたことです。生きたくなかった。自分が生きてる意味の無さ、存在価値の無さなど全てのことに絶望し、自分が幸せに、普通に暮らしている未来が想像できませんでした。

 

本気で死にたいと思うと同時に、アイドルになりたいという思いはずっと消えず、しかし自分には無理だと二の足を踏んだままで、挑戦はできていませんでした。でもどうせ死ぬなら、最後にやり残したことをしてから死のうと思うようになり、アイドルのオーディションに応募することにしました。

 

 

幼い頃から、画面に映るアイドルに釘付けになっていたのを覚えています。頭の中でいつか自分もこんなステージに立ってみたい。ステージからの景色を見たい。自分の居場所が欲しい、仲間が欲しい、人に認められたい。私にとってアイドルはすべての幸せが詰まって見える、アイドルなれば幸せになれる、そう思わせられる存在でした。

 

私が憧れた好きなアイドルさんはぶりっこを武器にしていて、私自身ぶりっこと言われ続け、傷つくとも言われていたからこそ、その方の特徴とも言えるぶりっこを活かして、キャラとして確立させ、堂々としてるその姿勢がとてもかっこよく、すごく勇気づけられました。その方の存在に感動し、私自身が人に愛されたかったのもありますが、人の心を自分が持つ何かで救えるような人間になりたいと思いました。

 

オーディションサイトにある沢山のアイドル募集のオーディションを見て、きっと沢山落ちるだろうからと、その時募集していたアイドルグループのメンバー募集に片っ端から応募しました。

結局面接まで行ったオーディションは2つで、どちらのオーディションも泣いて上手く出来ませんでした。

 

ですが、ありがたいことにとあるグループの研修生として合格しました。レッスンなどの下積み期間を過ごしながら、これから起こる幸せを想像して気持ちも明るくなり、前向きにレッスンをしていました。お披露目した後にどんな活動になるか、とてもわくわくしながら想像していました。

 

しかし、活動は自分の想像していたものとは違いました。最初の頃は、客席を見ても私の事を見ている人なんかほとんどいません。歌もダンスも壊滅的で、MCなんて絶対にできません。歌割りも無いし、立ち位置も端の後ろばかり、自分はグループに必要とされていませんでした。あれだけぶりっこと言われていたのに、1mmもキャラとして活かすこともできませんでした。ずっと自分のやりたかったこと、好きだったことなのに。

それでも応援してくれるファンの人はグループの中で多い方でした。ファンの人が褒めてくれるから、こう言ってくれているから、私はもっと輝けるグループがあるんじゃないかと思い始めました。そこで同じ事務所の違うグループのオーディションを受けました。が、落ちました。所属していたグループも、オーディションを受けたグループも、どちらもかわいい元気なアイドルグループで、自分にはこういうアイドルはできないんだと決めつけて諦めてしまいました。

 

それでもアイドルという存在になることは諦めていなかったし、アイドルの世界に足を踏み入れたからには輝きたかったです。

 

「かわいくて元気。」じゃないアイドルグループ。そして必要とされたい、居場所が欲しいという気持ちが強い私は、初期メンバーを募集しているグループに的を絞りました。

 

初期メンバー募集のグループが沢山ある中、今度はあまり迷わずに、直感で、すっとここにしようと決めました。それが、今の「真っ白なキャンバス」となるグループのオーディションでした。

 

新しくできるグループということでどういうグループになるかもわからず、不安が大きかったけれど、なぜかピンときました。その直感を大事にしたいなと行動し応募に至りました。

 

でも応募後、面接で落とされました。大学生の、意識高い系でまるでマルチ商法をしてそうな雰囲気がプンプンするプロデューサーが真剣にどんなグループにするか説明してくれて、このグループに入りたいと期待を持たされ、持ち上げられた後に、会話の中でダメ出しが始まりムカつく言葉も色々言われました。なんだあの人!と悪い印象を持ちました。今回の合宿一日目の面談で私を落とした理由を聞きましたが、理由は「漂うメンヘラ感」だったそうです。それは否めないです。幸運なのか運命なのか既に決まっていたメンバーが辞退し、真っ白なキャンバスにギリギリ補欠合格しました。

 

そこから2ヶ月間、毎日レッスン場に通い、レッスンを重ねて、「真っ白なキャンバス」としてお披露目をしました。

 

アイドルを初めた頃は、すべてに自信が無くて、常におどおどしていたと思います。でも、真っ白なキャンバスの初期メンバーは、私以外アイドル経験者がおらず、自然とグループを引っ張っていかなくてはならない立ち位置になりました。四人という少人数だったのもあり、苦手だった歌も、ダンスもMCも煽りも全てできなくてはいけませんでした。しかし、そのやるしか選択肢の無い、頑張るしかない立場が私を大きく変えていき、努力することも、責任感を持つことも身に付いて行きました。そして、それを頑張ることによって、必要とされたい、居場所が欲しいという願いが実現されていきました。

 

白キャンの最初の頃は、お客さんの数が一桁ということもあったり、心が折れそうなことが何度もありました。不安など色々な葛藤もありましたが、諦めずに地道に活動を続けてきました。ずっと頑張り続けたら、真っ白なキャンバスのことも、小野寺梓のことも沢山の人が知ってくれて、必要としてくれる人が増えました。

ワンマンライブなども規模が大きくなって行って、今でも全部のワンマンライブの、ステージから見える景色を鮮明に思い出せます。

 

アイドルの夢を叶えられてすごく幸せな反面、その活動は、時に厳しく辛いことも多いです。アイドルをはじめた頃は、レッスンも撮影も全てが新鮮でワクワクしていました。それなのに、今は辛いと思ってしまうこともあります。この合宿を通して、いつまでもあの頃のキラキラした気持ちを忘れずに、辛い時もその時の気持ちを思い出して前向きに頑張って行きたいと思いました。今まで経験してこれなかった、青春を取り戻しているような尊いこの時間で、知らなかった自分にも出会えて、毎日が充実していて幸せだなと実感できます。

 

今回の合宿の面談で、一日目は「漂うメンヘラ感」、二日目は「過激派」という言葉が出ました。そこも自分の大きな問題なので今回は向き合っていきたいと思います。私は感情のコントロールがうまくできなくなるときがあります。白キャンでも本当に沢山の迷惑をかけてきてしまいました。泣いて、叫んで、消えたい、しにたい。何かのきっかけで止められなくなり、衝動的にわーっとなってしまうことが定期的にありました。白キャンじゃなかったらクビになっていたと思うし、メンバーもこんなに優しいメンバー達じゃなかったら嫌われて仲良くしてもらえていないと思うので本当に感謝しています。

 

ある日、関係者の方にちゃんと病院に行くよう促されました。その方が楽になれるよと。そして過去に上手く話すことができなかった病院に、もう一度行きちゃんとお話をしました。

そこで自分のことをちゃんと知り、自分のダメなところと上手くつきあっていく方法も学びました。薬で症状を抑えることもできるけど、仕事柄良さが消えてしまうかもしれないと言われ飲むのをやめました。私の性質は、短所にも長所にもなりうるということがわかりました。そこからは良い方向に変えられるように意識し、対策をし、メンバーやプロデューサーにもすごく落ち着いたと言われるくらい落ち着くことができました。

 

未だに余裕が無くなっていっぱいいっぱいになるとわーっとなってしまうことがあるのですが、大事なメンバー達に止められると落ち着きを取り戻せるようになりました。「今やばくなってるよ。」とその時に止めてくれる子や、そうなってしまった後に二人きりでお話してくれて注意してくれる子もいます。こんなによくしてくれているメンバーやスタッフさんなど、周りの方に、当たり前のことだけど、迷惑をかけたらだめだと考えられるようになり、冷静になれることが増えました。ファンのみんなにバレてたかもしれないけど、私はそんなだめな部分があります。それでもこれからももっとうまくその部分と向き合って成長していきたいと思います。

 

アイドルになってよかったと思えることは沢山あって、その中でも私はライブが本当に大好きで生きがいなのですが、ファンの方達からかけてもらった言葉もすごく大切で、何度も

アイドルになってよかった。と噛み締めることがあります。

 

「生まれきてくれてありがとう。」「アイドルになってくれてありがとう。」「アイドルになるために生まれてきたんだね。」など、本当に温かい、心に沁みる言葉をもらうたびに、アイドルに挑戦して、くじけそうなときもあったけど、諦めなくてよかったなと心の底から思います。

 

言葉というのは不思議だなとも実感します。それは、ファンのみんなが言ってくれた嬉しい言葉によって、沢山長所を見つけてもらって、自信になって、その積み重ねのおかげで、堂々と胸を張って自信を持ってステージに立てるようになったからです。

 

ファンのみんなの存在や、言葉が無ければ、こうやってアイドルを続けられていないだろうなと、とても感じます。本当にアイドルはファンのみんなの応援の力が、アイドル自身の力になるなと感じます。ライブをするときも、目の前のファンの方の顔を見るだけで、ありがとうと、幸せだなと感じられる自分がいます。

ファンのみんながいてくれるから、応援してくれる存在があるから、それを糧にアイドルは頑張れるのだと思います。

 

 

 

この作文を書いていて改めて気づくことは、やっぱりアイドルが大好きだな。ということです。

アイドルになった今でも、アイドルになりたいと思っていた時のこと、気持ちを思い出せます。私の小さい頃からの思い出の中で、一番キラキラした気持ちになれる大事な思い出です。

 

 

私が憧れたアイドルはとても輝いていて、自分もそんなふうに、自分自身が輝きにあふれて、人にステージで夢と希望を与える人になりたいです。そして私の夢はずっと変わらず、小さい頃に想像したような大きな大きなステージで沢山の人に囲まれてライブをすることです。

 

今年の11月で、真っ白なキャンバスは五周年を迎えます。アイドルとして五年というのは、もう新人ではないです。どんどん魅力的な新しいアイドルグループができる中でも負けないように、これまでの経験を武器にして、さらに成長を遂げた、これからの未来を感じさせるようなアイドルになれるように真っ白なキャンバスを導いて行きたいです。

 

コロナ禍で、周りのアイドルさん達が沢山やめていきました。消えて欲しくないグループが消滅していきました。そんな中、ライブアイドル界を引っ張っていくと言葉にしたりもしました。これが口だけにならないように、ライブアイドルという文化も廃れさせることがないように、誰かが誰かの生きがいになれるこの場所を、今よりも活気あふれる場所にできたらと思っています。

 

諦めずにまだ色々なことを成し遂げたいです。もっとアイドルとしてみんなを喜ばせたいし、みんなに勇気を与えられるような何かをしたい。そう思っています。

 

沢山の人に愛されて、小野寺梓のファンになって、好きになってよかったと思われるアイドルになりたいです。ファンのみんなが自慢できる推しでいたいし、みんなの生きがいや居場所になりたいとそう強く思います。

 

今の自分にアイドルとしてできることは、歌やダンスはもちろんだけれど、それ以外にもアイドルの、私にしかできないことをファンのみんなに与えたいです。

 

アイドルとして活動していく中で、心が未熟だった私には沢山の人としての学びがありました。

アイドルをするようになってから、ありがとうと思えることが増えたし、ありがとうを沢山口にするようになりました。

同じ噂をたてられるなら、良い意味で噂になりたいと考えるようになりました。

周りや環境のせいにせず、自分が悪いのではないかと一旦考えることを意識するようになりました。

素直な心で、真っ直ぐに仕事に取り組みたいと思うようになりました。

 

これからも、高い壁にぶつかって、乗り越えるのに苦難をしいられることや、挫折をすることもあると思います。それも前向きに乗り越えられると信じて、メンバーとファンのみんなと一緒に進んでいきたいと思います。

 

アイドルができて本当によかったし、

過去の自分に、辛い経験も今のためにあるよと、言ってあげたいです。

きっと自分の人生は表現をする者として、プラスになる体験をしてきたんじゃないかなと思いたいです。人の心の琴線に触れるパフォーマンスを届ける、誰かの希望になるパフォーマンスをしたいです。

 

真っ白なキャンバスの楽曲はそんな表現にぴったりな楽曲が多いです。せっかく素敵な楽曲達を頂いているからこそ、こうやって今回メンバーそれぞれが自分と向き合って考えたこと、感じたことをパフォーマンスで表現していきたいです。それが私たちに足りない物の一つなのかもしれません。

 

過去の自分は、ずっと暗闇の中を歩いていると思いこんで、未来に絶望していました。何度も何度も、息苦しいこの人生から逃げ出したくて、どこに助けを求めればいいかわからず、途方に暮れて、生きることをやめて命を捨てようと思っていました。なんで生まれてきたんだろう。生きてるのがつらいと何度も思いました。

死にたいと思うほど、追い詰められ、苦しい思いがありました。今でもその苦しさにどうしようもない葛藤があるときもあります。

 

しかし今年の七月に、命の大切さを知る出来事がありました。どうしても生きてほしくて、信じられないくらい悲しくて、苦しくて苦しくて、ああ残されたほうはこんな気持ちになるんだと気づきました。

 

きっと今の自分には悲しんでくれる人達がいます。昔の自分なら、誰も悲しまない。とか言いそうだけど、こんなにもファンのみんなから沢山愛を伝えてもらっているのに、そこまでの恩知らずな考えには今はなりません。そんな大好きな人たちを同じ気持ちにさせるのはあまりに自分勝手で残酷だと思えるようになりました。生きて、今アイドルでいられることが幸せなことなんだと気付かされました。

 

キラキラ輝くアイドルの存在に憧れて、アイドルになるという、最初の夢を叶えてから、あのとき生きることを諦めずに、生きててよかったと今は思えます。

 

アイドルになって、受け取る言葉の嬉しさを通じて、自分を認めてもらえるこの場所で、自分は生まれ変わったような感覚があります。色の無かった世界が、鮮やかに、彩りあふれる世界に変わったように見えます。

 

一生アイドルでいようと思うけど、叶わないこともあるかもしれません。それでも、アイドルとしてみんなの心に、記憶に残りたいなと思います。そして一生みんなの居場所でいたいです。

 

今回自分と向き合って、やっぱり自分のなりたい、アイドルとしてどういたいかという気持ちは変わらないけれど、改めてどうしてそう思うようになったかを思い返して、さらにこの気持ちを深くできたと思います。アイドルに心を救われた自分だからこそ、人の気持ちに寄り添えるアイドルになりたいし、アイドルとしてたくさんの方の支えになりたいし、ファンのみんなの生きがいでありたい。これはずっと変わりません。そして、忘れそうになってしまう、キラキラな気持ちを忘れずに、アイドルの活動全部を心から楽しんで過ごして行きたいと思います。

みんなの世界を希望や感動、トキメキや幸せの色で彩りたいです。

 

 

 

小野寺梓を応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。

11月18日(金)の5周年ワンマンライブ『希望、挫折、驚嘆、絶望、感謝 それが、私。』で、最高のライブをお届けします。

 

真っ白なキャンバス 5周年ワンマンライブ『希望、挫折、驚嘆、絶望、感謝 それが、私。』
日程:2022年11月18日(金)
時間:18:00開場 / 19:00開演
会場:TOKYO DOME CITY HALL
https://shirokyan.com/news/1525/

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