真っ白なキャンバス

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2022.12.15
1万字の作文を公開 麦田ひかる


『真っ白なキャンバス 合宿企画2022 〜Be the SUPER IDOL〜』で、麦田ひかるが自分と向き合う1万字の作文に挑戦。

ここに、1万字の作文を公開します。

※下記テキストにて掲載をさせて頂きます。

 

麦田ひかるの作文はこちら

 

 

今のわたしに、合宿をすると知らされたとき、楽しみという気持ちがありました。結構自分の中では、いつも何事もたのしいと感じて過ごしていて、苦しいのも悔しいのも嫌いじゃないです。

合宿を知ってからと合宿三日間で、作文が出来なかったことを振り返ったら、みんなの目から作り上げられた麦田に、わたしは、また甘えてしまったと思いました。

合宿から帰ってきて、たぶんいつもだったら、お母さんから「作文どうしたの?」と聞かれて、「書けなかったけどこれからやるのー」と弾まない会話をしたと思います。

口数が少ないとかでは無く、自分は、嬉しかったことや楽しかったこと以外はあまり話さない癖があるみたいで、家でもくだらないことをしゃべってケラケラ笑っているにんげんです。

 

その日は、ひかるから「作文書けなかった、どうしよう。昔のこと分からない。」とぽろっと話しかけました。それからお母さんとお話しをして、知らなかったことを知れたりしたのが新鮮でした。

わたしはとても忘れっぽくて、お母さんから聞いたお話しと、自分でも思い出しつつ、書いていきます。一人の力で出来なくてごめんなさい。まずは、小さい頃のわたしの様子から書いて進めていこうと思います。

 

わたしは、よく人見知りなんだねと言われていました。年上の方に話しかけられると、喋らずニコニコへにゃへにゃして、代わりに誰かが喋り出してくれるのを待ったり、母に隠れて逃れていました。家ではうるさかったと思うので、ただの意気地無しな気がします。幼稚園生になり、わたしは、ダンスを知りました。母が、バレエかダンスは、やらせたいと思っていたらしく、母に言われ、わたしは、ダンスを自分で選んだ記憶があります。

ダンス教室のレッスン中は母が居ないので、様子は上手く覚えていませんが、同年代の子が多くて、遊び感覚で通っていた気がします。

よくずっと言われていたので、とっても下手くそなのと、身体がふにゃふにゃしていてキレが無いことを覚えています。ほんとにセンスが無かったです。

映像がうっすら思い浮かぶ。お遊戯会みたいな感じなの。小学生になり、自らの判断とか力で行動をするはじまりな気がします。

寝起きの悪かった自分は、毎日、母からの起こされる声に嫌々起きて、のろのろと動いて学校に行っていました。だんだんと遅刻もするようになりました。遊びに行っても帰る時間に帰ってこないし、忘れ物も多くて、部屋もすぐモノで溢れて汚くなるし、母に、なになにしなさい!とよく言われて。だらしの無い自分にうんざりします。自分のことをマイペースだと言われます。

白キャン応援委員会の手相占いで言われた、自分のイメージで、ポリシーで、自分の世界観を描いて生きているがしっくりきました。あたまのおかしな子でした。

 

小学三年生の頃、ダンス教室のほうで、天皇皇后両陛下即位記念のステージに出させてもらえることになりました。

わたしは、とても偉い方の前で、その方々の記念日に大きなステージに立つんだ。くらいに、そのとき思っていて、そのときそう思っていたから今も、ダンスが上手いから選ばれたとかでは無いので、母に凄いことだよと言われても、そうみたいだね。となります。

それが決まってからは、毎日レッスンがあり、そのレッスンは、親が必ず同行しないといけないものでした。ステージに立つ子は大勢居ます。レッスン中は、先生の判断で立ち位置がよく変わりました。

来ている子が前に行けるとかそういうの。
わたしは、お家で空いた時間に動画をみて練習をしていたそうです。それが、自分の身につき、下手くそなりに頑張ってるのを先生が見てくれて、前の方にさせてもらうことが出来ました。

家で練習していた自分を全然覚えてはいませんが、前の方に出れてとても嬉しかったことを覚えています。しかし、そのころ流行っていたインフルエンザにわたしは、かかってしまい、結局後ろの方で当日を迎えました。そこは、とても大きな会場で、とても沢山の人に見守られながら緊張もしたけど、楽しかったのを覚えています。

踊ることが楽しかったのかな。達成感が良かったのかな。分からない。けど白キャンに入る前までのダンスの記憶で印象に残ってる思い出のひとつです。

この頃からわたしは、過度に人のめを気にするようになった気がします。学校のほうでも、わたしのお箸の持ち方とか、行動とかに対してなんか言われたりすると、自分の動きってどうなってるんだ。と気になってしまいます。

ふとしたとき自分は、人の行動を観察していて、自分が嫌な感じがすると思ったら真似しないように、良いなと思ったことは真似したり、だから変なことしないようにって外では少し緊張していました。

 

小学生4年生、毎年クラスや担任の先生が変わり、先生によって学校のルーティーンも変わりました。わたしのクラスは、朝礼の時間に日直のひとが、みんなの前に出て、事前に新聞で気になった記事をまとめ文章をつくり、それを発表するという行事がはじまりました。

わたしは、そこで失敗をしました。頭が悪いから選んだ記事も文章も、ひかるの前に喋ってる人のを聞いて自信がなくなりました。

自分の出番がきて、喋っているときに、わたしは、不安になり喋ることを途中で止めてしまいました。沈黙が続き、わたしは、泣きました。
笑われたか覚えてないけど、そのときやっぱり、自分の考えていることは可笑しいんだ。と強く思いました。人の目を気にしてしまい。

多分とてもささいな、小さなことだったんだろうけど、この日から、しゃべることが難しくなりました。

 

それから毎朝、わたしは呼ばれ、みんなの前に立ちました。

わたしが喋るまで、教室は沈黙していました。たまにガンバレって言う声が聞こえたことがありました。

それでも、わたしは喋ることも動くことも出来なくて、自分でもどうして喋れないのか分からなくなって、この空気に耐えられなくなり、また泣きだしました。「また明日にしましょう。」となりました。
泣くと誰かが助けてくれる、そう逃げていたのかも知れません。その逃げ道しか知りませんでした。どうしたらいいのか分かりませんでした。

それからすぐに、わたしは、泣くことも無くなりました。ただ立って時間が過ぎるのを待つだけ。学校で感情をあまり表に出さないようになりました。

音読なども出来なくて、パスをさせてもらったり、音楽の授業でも歌えなくて、それで先生に怒られました。

注意を受けるときの注目がとても嫌でした。音楽の授業がとても苦手になりました。わたしは、こういう自分で考えたことを発表するという、まさにこの場面がとても苦手でトラウマになりました。

それでも、わたしの生きている時間はこれだけじゃ無いので、学校のこの時間、音楽の時間とか、みんなの前で声を発する場。一部の人間。以外にも時間はたくさんあって、休み時間はお友達とお話しが出来たり。学校帰りによく会う犬のお散歩してる近所の方と話したり。掃除してる大人が挨拶してくれたり。一緒に遊んでくれる子たちと遊んだり。虫とか木の実とかみつけたり、お家に帰って犬と遊んでお菓子食べて、ゲームして、雪で遊んで、お買い物したり、星を眺めたり。ささいなことでも嬉しいから、楽しくて。

母にも言う必要が無いと自分は判断していました。

学校のその空間は好きになれなくて、カレンダーをみて、あとどのくらいで卒業出来るかなって数えていました。

 

なんで、その時間の恐怖とか不安ってトラウマになったり身についてしまうんだろう人間てなります。

出来ないと、なんか言われて、また出来なくて、何か言われ。それを積み重ねていくと、とても重くなって悲しい気持ちになって、なんで自分出来ないだろうと、どんどん内気になりました。

ダンス教室のほうでも、ステージへの練習中に、みんなの前で、歌、作った振り、何でもスピーチを発表することになりました。

この練習は何回かあり、わたしは、学校と同じことを繰り返してしまいました。ある日、これが最後のチャンスだ。と思い。わたしは1番最初に手を挙げました。歌、ダンスは、なんとか出来たのですが、スピーチで止まってしまいました。先生が他の生徒に、どう思う?と質問しました。「一番最初に手を挙げて、とても焦りました。驚きました。がここでまた止まって出来ないのなら、一緒にステージに出たくない。」そんな意見。

わたしは、その発表が出来なかったとき、いつもレッスンが終わるまで端っこで立っていました。母が迎えに来るまで動けませんでした。

たしかに、こんな子とステージ立ちたくないよなと思っていました。がどうすればいいか分かりませんでした。少し経って、母が、周りの人からのお話を聞いて、わたしの様子を知りました。

そしてわたしは、意気地が無く、諦めてステージに出ることを辞めました。ダンス教室も辞めました。

 

その頃、同じレッスンをしていたある子も、ステージに出ず同じ時期にダンス教室を辞めました。その子のお話から、わたしは、先生に好かれていなかったらしく、先生は、生徒に、ひかると一緒に出たいなら、ステージに出させないみたいな事を言っていたみたいで、その子は、自分も一緒になってそれを言ってしまったこと。に対して罪悪感があり、辞めたそうです。

そして新しいダンス教室を誘ってくれました。自分とあんまり喋ったことないなのになんでだろうと思っていました。

母に聞く今まで、知りませんでした。知らなかった。もっと早く知りたかったなと思いました。

母に、ひかるはいい意味で鈍感と言われました。

人に興味も無いよねともよく言われます。たしかに、誰かにいじられてることに気がつけないことが多かったです。クラスで誕生日の子に贈る寄せ書きを、大人になってみてみるといじられてたんだなとおもいます。

周りで起きていることを知らなかったことが多いです。わたしは、なんかやだなと思うけど、自分がおかしいからだと生活していたかもです。それから誘われた新しいダンス教室に入ることに決めました。少し迷いました。

この頃ダンスのことは、好きなのか好きじゃないのかよく分からなくて、他にも習い事をしていたのですが、身にもならず中途半端に辞めていて、なんだかダンスが一番つづいてるものだから、続けてるかんじでした。

長く続いただけのダンス、身にもなっていないダンスに、自分の存在証明にすがっていた気がします。これがなかったら自分って何も無くなってしまう。と。そこのダンス教室は、大人の多いところで、わたしが一番年下でした。なごやかで、みなさんとても優しくて、楽しかったです。

しかし、ここでも内気なところは直らなく、先生に質問が出来なかったり、言われたことを何となくやってる感じで、さらけ出すことは出来なくて、表情も固くほんとにパッとしないダンスを踊ってきました。

たまに行きたくないときがあり、やっぱりダラダラと続けているだけなのかなと思いました。それから、ただただ時間が過ぎていきました。

 

高校生になり、わたしは、部活とアルバイトをはじめました。それと同時にダンス教室は辞めました。憧れのあった部活。ダンス部というものに入ることが出来て嬉しかったです。

実はここまで、ガチガチヒップホップをしたことがなかったので緊張していましたが、私の学校は、大きい大会とかは出なく、先生はほとんど来ないので、ほぼ部員達で練習をすることが多くわたしには良かったです。

この頃、アルバイトで貯めたお金で、画面越しでしか見ることが出来なかった音楽を届ける人たちに、実際に会えることができて、まんまとはまり、いろんなライブに足を運んでいました。だんだん芸能にも興味が湧いてきた時期にもなります。

 

そんなある日の学校帰りに、青木さんが雇ったバイトの人に声をかけられました。分厚い紙をみせられました。

それに、デビアンさんの写真があり、わたしは、当時メンバーだったさつきちゃんと面識があり、名前を知っていたので、なんだか信頼出来るかもとなり、後日、母とお話を聞きに行きました。
学校卒業したら、途切れるんだろなと思っていたダンス、わたしの存在証明としてすがっていたダンスがまだ出来るんだと思いました。
わたしは、兄と同じ歳には見えない大人な人が流暢に話しているな。と。

デビアンさんの写真一枚が印象強くて、あんまり覚えていませんが、青木さんの夢を語る姿に、わたしもワクワク胸を膨らませたと思います。わたしはまだ、名も無いものに入ると決めました。

わたしの人生が動いた気がしました。こんなにながながと過去を書いた意味はあったのかと思ってしまいます。過去の私もいるのだけど、みんなは、白キャンに入ってからの麦田が、始まりで、自分も白キャンに入ってからが、始まった。一歩進んだ気持ちでした。

 

活動がはじまり、新しいことを、いちから始まることにわくわくしていました。レッスンは、楽しかったです。

はじめてのレコーディングが一番戸惑いました。人前で歌うことは避けていたことなので、頭によぎる色々が、わたしの喉を締め付けていました。久々に人前で泣きました。辛かったけど、前向きでした。

今でも、レコーディング中、ひとが沢山いると喉が閉まってしまうことがあり、みんなを部屋から追い出してしまうのですが、みんながいてもリラックスして歌えるようになりたいと思って、試行錯誤をしています。

自分的に上手に歌えて自信を持てたら大丈夫なんだろうなと思います。本当にいろんな経験をしました。デビュー日当日、とてもたくさんの方が来てくれたことに驚きました。なんでこんなにたくさんいるんだとなりました。

わたしの想像していたものと少し違ったけど、メンバーみんなで沢山練習して臨んだライブは、わたしの思い出の一つになりました。

いろんなライブをするようになって、いつからかファンの方が、ダンスを褒めてくれるようになりました。人生ではじめてちゃんとした言葉でダンスを褒められました。

自分はこの頃、ダンスを言われた通りに踊る。パッとしないダンスをしていて、なので褒められても否定していました。

ファンのみんなって、なんでそんなに好きになってくれるんだろう。どんなじぶんでも、何をしても。それがすき。って言ってくれて。凄い。みんな優しすぎる。と思います。自分の行動とか考えていることは、よく思われない。気持ち悪いんだと生きてきたので、ここでは、全然違くて、逆にそこが良いんだ。と言ってくれる方がいて、ビックリしました。

メンバーもみんな優しくて、色んな子がいて、こんなひかるとも仲良くしてくれて、こんなに落ち着いていいものなのかと思っていました。

 

それから白キャンの活動が忙しくなってきて、わたしは学校の行事で、ライブに出れない日がありました。

間に合うか間に合わないかで、会場についた時には、ちょうど白キャンがステージに上がっていたので、そのライブを見ることにしました。自分がいなくても時間は進むし、ライブは良いし。たぶん、それまで休まなかったのは、自分がいなくても大丈夫なのを、知るのが怖かったんだと思いました。

この日からライブを休むことが増えたと思います。白キャンにはいって、凄くいろんな感情をしりました。逃げることをそこで知ってしまいました。行動として行う。感情をドカンと出すことを知ってしまいました。

自分でやると決めたことなのに、わたしの頭には、文句ばかりよぎってしまいました。

 

学校と活動の生活がキツいを言い訳に、白キャンを辞めることを決めました。白キャンを辞めると決めてから、世の中でコロナが流行りだして、卒業ライブまで、お休みが続きました。

学校も休みで、わたしはだらけて過ごしてしまいました。卒業ライブ当日は、配信だったので、みんなの顔が見れなかったのが少し悲しかったです。

それから、ライブの途中で足をつってしまって、ライブを全部出来ることが出来なくて、自分ってやっぱり中途半端だなと思いました。そして、わたしは学校も白キャンも卒業し、ダンスからも離れて、誰とも連絡を取らず、部屋に引きこもりました。

そんなある日、おのちゃんからの連絡があり、お家にお邪魔させてもらうことになりました。

連絡が無かったら今どうなっていたんだろうと思います。白キャンのライブを見に行きました。刺激をたくさんもらいました。アイドルじゃ無くても何かをしたいと、思えるようになりました。

えまにもあって、ファンの方とも会える機会があって、またアイドルをやりたいなと思っていたり、世の中的にまたアイドルに戻って良いのだろうかと考えていました。

えまもアイドルをやりたいと言う気持ちがあることをしって、まだ自分アイドルやってもいいのか。とまたやりたい。という決意になりました。

 

そして色々あり一年が経ち、白キャンに再加入することになりました。

まず、7人バージョンの位置や振り入れ、歌割りの変更から始まりました。この作業は結構大変で、わたしがというより、前まで踊っていた皆んなの負担がすごいのです。

歌割りを見たときは、まえに歌っていた自分のパートは違う子に渡っていて、好きな部分もあったので、少し悲し悔しかったです。

振り付けは、あまり変わらないのですが、元のSEに戻ったり、ダンスパートがまた自分に回ってきたことに対して、また自分はそこの立場なのか。とおもっていました。なぜそう思うのかは、自分の踊りに自信が無い。

ファンの方や親に、歌割り少ないよね。もっと歌割り増えると良いねとよく言われていたので、今度こそ歌も頑張ろと思っていました。ここの立場になったらまた、沢山言われるんだろうなとおもったからです。

自分でも踊ることは好きなので沢山踊れるのは嬉しいけど、歌を歌っている方が目にいくし、音楽になると、私は現れない。映像でも歌ってる子が映し出されるからいないようなもので。

もしかして、自分ってほんとは要らなかったのではと思いました。歌を上手に歌えない自分が悪いです。

 

七人のお披露目のアイドルオブザイヤーでは、審査員の方に、「表現がちょっと違う。まだ理解をしていない」と言われたことを覚えていています。

まだ自分は変われてない、昔の自分のままなのかと思いました。その後、ファンの方の前でのお披露目が開催決定しました。

振りを忘れていたり、新しい曲を覚えたりで、当日は、自分的に不安が残っていたので、完璧では無かったとおもいます。

全力でやることに専念しました。とても緊張したのですが、また皆んなにあえて、ライブができてとても嬉しかったです。初めましての顔が沢山あったのを覚えています。それが段々と顔見知りになり、みんながいるのが当たり前になっていました。

ちゃんと良いライブを毎回作りたいと思いました。

 

白キャンのYouTube番組が出来て、バラエティは頭を使うので自分大丈夫かなとおもっていました。バラエティでは、ちょっとやりたくないこともあったのですが、それがバラエティなんだ。と思うと。やりきれたし、意外と楽しかったです。YouTubeを見返してると、もっとこうすれば良かったとか、沢山出てくるのを、行動に移せるようになりたいです。
普段から勢いで発した言葉に対してよく反省会を開いてしまうので、時間があるときは言うか言わないべきかを”どちらにしようかな天の神様の言う通り”をして決めています。焦ってしまうので落ち着いた気持ちで過ごせるようにしたいです。

もっとたくさんの番組に出れるようになりたいと思いました。

 

四周年「わたしとばけもの」では、自分的に、はじめてのとても広い会場のワンマンライブの挑戦でした。リハーサル場所の大きさ、スタッフさんの数に驚きました。ユニットに分かれてパフォーマンスをするときに、一人で歌うパートがあったのですが、自分は全体リハーサルでもなかなか上手く歌えずに、二人で歌うことになりました。

歌うことにどうしても自信がつかなくて、なんでいつもこうなんだろうと、声が出なくなるが苦しかったです。
自分に出来ることは、まず新しい振りを完璧にすること、立ち位置を間違えることが多かったので気をつける。自分がいなかった時期の動画をみて、五人のときの雰囲気をしったり、自分をみたり、みんなの良いところを取り入れたり自分なりに出来ることをやりました。

このときの新曲、「わたしとばけもの」は七人みんなではじめての曲でした。歌割りは少ないですが、冒頭や間奏に踊りを見せれることがあり。このときは、もらったらチャンスはやろうと。やりたい子もいるんだ。ちゃんとしようとおもっていました。

わたしは踊りをもっと知りたいと思いました。遅いですが真剣に向き合おうと思った瞬間でもありました。

四周年ライブ当日、とても緊張してしまい、振りを間違えることが何度かあり、悔しかったです。この頃から、ファンの方に前より元気になったね。とか表情が明るくなったねと言われることが増えました。自分でもそうだよね〜っとおもっていました。そう振る舞える表現を身につけた。とおもっています。

表現力を増やしたいという思いに、少しずつ進めてるのかなと思います。
それが良かったと思うときは沢山あるのですが、また更に自分の素直な気持ちがわからなくなって空っぽ人間が出来ました。自分が分からなくなります。いま喋っているのが本当に思っていることなのかな、と。踊るときも自分の癖を出しすぎたり、ソロとかも段々と勝手に違う振りにしてしまっていたのですが、レッスンで、揃えたいという言葉をたくさん聞いて、自分もそう思いました。他のアイドルさんをその目線から見てみたり。自分の動画を見たり。

 

あの、わたしはみんなが撮ったライブの動画をよく観ます。白キャンの動画一日一回はみます。

ライブ中のわたしの姿や、みんなの姿を観れるのはとてもありがたいです。これが無いと、わたしは、今でも表情やダンスをもっと向上させることができなかったと思う。

だから動画を提案したおのちゃんにも感謝だ。新しいファンのみんなに観てもらうツールとして提案したんだと思うが。して、自分を出しすぎず、みんなの動きをたくさん見ました。

良いところとかも、見つけたり、いい事も増えました。じぶんのダメなところも直せたり。だけどなんだか、面白みがなくなって個性が消えた気がします。昔の自分の動画を見たりしました、自分の気持ちにがむしゃらに自分勝手に踊ってるのが恋しくなりました。

まだ模索中ですが、なにか、一歩がなかなか踏み出せなくなりました。どんどん輝いていくメンバーをみて、だんだん空っぽになっていく自分に焦りを感じます。自分の武器がほしいです。

明るくなったもう一つは、ネガティブな思考を引きずらなくなったです。

 

活動を一度やめるときに、最後のお仕事で、誰かに「これからの目標は」とたずねられて、ふとでた「長生き」が、自分の中でずっと続いていて、人生って短いな。って思って生きています。

再加入する前に、母が入院して、その後、父もコロナの影響で入院して、正直、気持ちが焦りました。実家に帰りました。

いまはとても元気なのですが、本当は、自分がもっと頑張って支えたいです。自分がみんなが生きてるうちに、叶えたいことがたくさんあるから、私は長生きをしたいです。

 

母は、良く私の動画を見て、もっとこうしたらとか、指摘をたくさんくれるので、いつかもっとカッコいい姿でびっくりさせれるところ見せれるように頑張りたいです。

そのためには、今すぐにでも変わりたい気持ちですが、難しいなって思います。わたしは、ここがとても心地の良い場所だなと思えるのは、自分のことを軽蔑しないで一回知ってくれたり、メンバーの人柄だなと感じます。安心して喋れるのも嬉しいです。

 

そんな環境を作ってくれている、みんな、ファンのみんな、関わってくださっている沢山の方に、恩返しがしたいです。

恩返しってどうしたら出来るのかなと。いまは、まだ白キャンのために自分は、なにも役に立ててないので何かしでかしたいです。

最近、わたしは、自分の声、言葉から離れて、脳で考えてることを貯めながらそれをステージで踊りながら発散するのが好きなんだと思います。

いろんなダンス踊れるようになりたいです。上手になりたい。行動したい。歌も叫ぶように歌いたいです。新たな麦田が出てきて、また難しい毎日です。

 

自分的にはしんどいけど、世の中的には生きやすいので、いい感じにつきあっていけるようになりたいです。

ライブでは緊張してしまうので、五周年ライブ当日を想像して、たくさん自分の身体に覚えさせました。頭で考えるより、動いた方が自分に合っていると思います。ゲッツさんにも質問できるようになった自分がいて、自分のやりたいことが増えて、当日は、いつも応援してくれるみんなに少しでも感謝の気持ちを届けれるようなパフォーマンスをしたい気持ちがたくさんなので、頑張りたいです。いつも死について想像すると寝れません。

最終的に死んでしまうんだ。男の子に生まれ変わって、ジャニーズ事務所とかにはいって、たくさんの女の子も幸せにしたいです。

そして、長く続けていたって、自分の意識を変えて、意志を持って行動しないと変われないことに気がつきました。

これからもいろんな自分に会うかも知れませんが、ちゃんと向き合っていきたいです。

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